5/1は転職記念日なので記事を書く

転職して2年が経った。
転職は私の人生における最大の勝利であるので、2周年を記念して記事を書く。
さしあたり、現時点で考えていることを書いておくことで後々の参考にしたい。


転職してよかったか
これは「よかった」と断言できる。
2年経ったのでさすがにそろそろ前の環境と比較してもよい頃合い(転職してすぐはバイアスがかかって何でもよく見えるので)なので書いておくが、あらゆる点で今の環境のほうが良い。
私が転職を考えていたころ「辞めて幸せになった」という資料が少なく、周辺の人の「すぐ辞める人は何をやってもダメ」的な論調に随分脅されたものだった。なので「転職して幸せになった」という事は何度でも繰り返し伝えていきたい。


能力の伸びと幸せ
人の能力は伸び続けると思う。成長が頭打ちになることはないという印象がある。
ではだれでも頑張れば幸せになれるのか?というとそうでもないと思う。何故かというと人生は有限なので、能力が伸び続けても幸せに感じる閾値まで能力が伸びる前に人生が終わる可能性があるからだ。
能力を伸ばすには、大きく分けて「目的がはっきりしているか」「成長率」「実際の能力値」の3つが関わってくると考えている。


目的がはっきりしているか
1つ目の「目的がはっきりしているか」だが、これは、どうすると自分が幸せになるかを理解しているか、ということ。身近に人生の成功者が多い場合は、彼らを参考にすることで幸せをイメージしやすいのだが、周りに不幸っぽい人しかいないと目的をイメージしにくい。機械学習でいうと負例しかないと学習できない、というような状況。
なので「君はAをすれば幸せになれるのにAに向かって努力していない」という批判をされても、自分ではそもそも「Aをすれば幸せになれる」ということに気づいていない事がよくある。この「どうすれば幸せになれるか」という探索には時間がかかるので、幸いにして周りにいい感じの成功者がいて成功のイメージをつかみやすい人は、この探索の時間を他の2つの要素に投入できるのでとても有利になる。


成長率と実際の能力値
2つ目の「成長率」と3つ目の「実際の能力値」についてはまとめて話をする。実際の能力値というのはそのままの意味。「英語が話せる」とか「論文に書かれたアルゴリズムが実装できる」とかそういうもの。
これらの実際の能力値はいわゆる「努力」をすることで伸びていく。だが人生は有限であるので一回の努力で伸びる量が少ないと幸せになる前に人生が終わる。よく「才能が〜」みたいなことをいう人はこの「一回の努力で伸びる量」にだけ注目しているように感じる。
ここで考えたいのが「成長率」。これは一回の努力でどれだけの能力が伸びるか、とでもいうべき力。RPGとかでは成長率は固定されていてどうにもならない量だが、実世界ではそれなりに伸びる。この成長率はスポーツでいうところの基礎体力ともいうべき能力で、ぱっとみアウトプットが出にくい。が長期的に見ると投資すべき能力だと思われる。
具体的に言うと、「機械学習の本を読んでも頭に入ってこなくて理解が遅い」というときに「とにかく本を読んで手法を理解しようとする」というのが「一回の努力」と呼ばれるもの。これは伸び量の多いほうが圧倒的に有利なので同じ時間本を読んでも、伸び量が多い人には追いつけない。
そこで「成長率」を伸ばす必要がある。これは例えば「一時的に記憶しておける数式の量」であるとかそういったたぐいのもの。これを伸ばすには「記憶量」の例で言えば「試しに教科書の一つ目の式を記憶してみる」ところからはじめて、自分がどのくらいの量を記憶できるのかを知り、その限界をちょっとずつ増やしていけばいい。この行為は直接「機械学習の手法を使えるようにする」ことには結びつかないが、「記憶量」が増えれば一回の努力に対する伸びが大きく増えるので結果的に能力が伸びる。
もちろんすべての時間を「成長率」の向上に投資すると人生が終わっても幸せにならないので、「成長率」と「実際の能力値」のどちらに投資するかのバランスは常に考えていく必要がある。


人生のイベントは閾値以上の能力がないとクリアできない
残念ながら人生にはタイミングというものがあって、あるイベントが発生した時にクリアに必要な能力がないと不幸になることが多い。なのでイベントが起きるまでに必要な能力値を稼いでおく必要がある。前述の「身近に成功者が〜」にも関わってくるが、人生の先達に「あとxxxくらいの後にxxxというイベントが発生し、それをクリアするにはxxxくらいの能力がいるよ」ということを教えてもらえる環境にいるととても有利になる。
人生というシミュレーションにおける攻略本のようなものだ。これがあると、イベントに特化して能力を上げることができる。
例えば1週間で5の能力を上げられる人がいるとする。この人はAという能力を10、Bという能力を10持っている。1週間後にAが15必要なイベントがある、とわかっていればAの上昇に投資できるが、その情報がないとBに投資してしまうかもしれない。そしてこのイベントは一度逃すと再度発生するのは10年後かもしれない。


成果は期待値で考えたほうがいい
例えば平均的に10の結果を出せる人がいたとする。ただし結果が正規分布していて標準偏差が1だったとする。この場合、13とか14とかの成果はそうそう出ない。ところが稀に13の成果を達成すると「君はやれば13の成果を出せる。だがほとんど10程度の成果しか出していないこれは怠慢ではないか」と言い出す人がいる(自分自身でそう考えて「俺はもっとやれるはずだ」的な中二病っぽい状態になっている場合もある)。
これは無謀な話で何回かは想定よりも良い結果が出るし、悪い結果も出る、という考えでないとうまくいかない。直近の自分の結果を見てみて、その平均が実力なので、それ以上を望むなら能力を伸ばすしか無い。
結果の平均値が落ちてきている場合にはじめて「怠慢だ」と考えればよいのであって単発の結果に対してあれこれ言うのは皆が不幸になる。
そういう意味で、私が前の環境に入ってしまったのは必然であるように感じる。私の初期能力と努力の程度を考えれば平均的には「あの環境以上の環境」には入れなかったと考えている。今の環境がより良い環境であるのは能力の平均値が伸びたからにほかならない(もちろん多くの人に助けていただいた、というのが最も大きいのだが、自分の能力の平均が低かったら多くの人の助けにもかかわらず悪い結果になっていたであろうことは容易に想像できる)。


生命力と能力
未来への不安が大きいと生命力が落ちる。「生きていたくない」という精神状態のことだ。こういう状態になると能力が低下する。能力が低下すると未来への不安が大きくなるような選択肢しか選べなくなる場合がある。完全に負のスパイラルになる。
こうした状況に対して未来に不安がない傍観者が「君の成長率は私と同等であるから同じだけ努力すれば云々」みたいなことを言い出しても解決しない。
不安は本当に危険だ。昔、「天井が落ちてくるかもしれない」という杞憂の故事の話を聞いた時に「何を言っているんだ」と思ったが、今では「天井が落ちてくるかもしれない」もありうると考えている。前述のように今の環境に不満はまったくないのだが、不満がない現状でさえ未来に大きな不安がある。
これは前の環境で6年間死んでいた間にも普通の人々は普通に人生を歩んでいたのだ、という事実が大きくのしかかってきている。というのが大きい。まさに「君と私の成長率は同じなのに君は6年間何をしていたのだ」と言われている気分だ。非常によくない。


ファンタジスタドール
ファンタジスタドールは希望の物語である。不安と安定が絶妙に混ざり合い、視聴者に希望を提示する最高のアニメであると言っていい。
作中で主人公、鵜野うずめは「希望が曖昧な者はやがてすべてを失うことになる」というセリフを突きつけられる。これはまさに私が前の環境で得た教訓の1つだった。
そして鵜野うずめは自らの希望と向き合うことになる。結末は作品を是非見ていただきたい。ファンタジスタドール


まとめ
転職したら環境がよくなった。
環境がよくなり冷静になった結果、世の中と向き合うことが出来た。その結果、心にある不安に気づいた(前の環境においては強すぎる苦痛のために麻痺していた感覚だ)。
不安は私に「能力と幸せ」について考えさせることになった。
ファンタジスタドールによって希望がもたらされた。